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明治・大正・昭和を生きた広島の鋳物屋の回想録

 映画の中で明治、大正、昭和を生きた鋳物屋である野間砂次さんの回想録『鋳物一途に五十年』(1964年)の一部が高尾六平さんの朗読で出てきますが、関心を持たれた方も少なくないようです。ここでは映画で引用された部分も含む抜粋を御紹介しておきます。ある鋳物屋から見た広島の明治・大正・昭和史と言えるでしょう。読みづらい所、仮名遣いが今から見るとおかしな箇所もありますが、そのままとしました。

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 私の家は四代前、広島県安芸郡矢野町にあった野間城の出城として比治山に屯ろしていた。明治になつてから野間屋と呼んでいた。父栄次郎は三才で父親に死別した。祖母は三人の男子を女手で養育した大変気丈な人であった。父は幼少より鋳物に志し、明治二十三年に十四才で瀬良鋳物工場に入職した。その頃の鋳物屋は筍の出る頃から旧盆迄の間は湯がわきにくいので、吹きを休みその間は型引(鍋釜の外型を作る作業)をしたり、製品を舟に積んで主として山口県方面の市場に出して売っていた。明治二十五年頃山陽鉄道(神戸-広島間)が敷設されることになり、その工事に使う「トロッコ」軸受を鋳造することになった。その時の話によると木型を抜いて造型することを知らなかったので、桐の木で作った木型を型込めしたまゝ、炭火で焼いて注湯して居つたので注文個数だけの木型を作ったものだそうだ。今頃のフルモールド法に似ているのも面白い。その後呉海軍工廠の職工が広島に流れて、それ等の人から割型に型抜きする事を知り、その技術の進前に驚き「ヘラ」(造型工具)を見て感嘆した。こんな事があつて発心し明治三十四年に神戸造船所へ一年間機械鋳物の勉強に行き、帰広後瀬良鋳物工場の改革をしたと云ふことである。

 その後父は二十五年間も勤続した瀬良鋳物工場を大正二年八月に退職して自立することになつたのであるが、同年十一月三日に広島商工会議所から永年勤続の賞として銀盃を贈られた。当時父は三十九才であった。初めは親類の石井鋳物工場から湯買いをして鋳物を造り、天秤棒で製品を担い得意先に納めていた。大正三年三月広島市竹屋村(現在の鶴見町)に工場を建てた。松の丸太に「ソギ」屋根の掘立小屋で「キュポラ」はレンガを帯鉄で締めて築き、送風機は自製の「タゝラ」を使った。「タゝラ」は小学生に踏ましたので、彼等が学校から帰らないと吹かれなかつた。又取鍋の柄も樫の木を用いたので、一度使つたら取替えなくてはならなかつた。今想出しても随分無謀な船出だつたと思うが、その決意と実行力には、現在でも貴いものと感銘している。しかし折角創業はしたものの五月には仕事がなく、三田尻の知合いの工場に職員を連れて加勢に行く事になつた。出発前夜の夕食は母が心づくしの御馳走をして呉れて「今からなんべんもなさけない目に逢うだろうが………」と父と私を励まして呉れた事を覚えている。

 それも二週間位で広島にマッチの軸木製造機械の仕事が出たので職工と共に帰った。

 其後吸入「ガスエンヂン」や缶詰機械等の仕事が出廻つた。当時鋳物の値段は一貫目三十三戔位で新銑が十戔五厘、故銑が八戔位、コークスは一表一円二十戔であつた。職人の工賃も一日七十戔~八十戔位だつたと覚えて居る。

 あれこれする内に第一次欧洲大戦が起こり、秋には青島陥落し、ダンチョネ節が流行、戦線は欧洲全域に拡大し、船会社、鉄鋼界は未曾有の好況時代となつた。成金と云う言葉が出たのも大正四年頃だつたかと思う。又化学薬品が杜絶したので灰を煮てアルカリを造る家内工業が街に出来たのもこの頃である。広島は特産の針工場が雨後の筍の如く続出し、造船・護謨関係も忙しく鋳物屋も殷賑を極わめて来た。広島市東部では三軒の鍋釜業者と私の所の機械鋳物の四軒であつたのが八軒になり、西部でも三軒が六軒に増えたと記憶する。

 大正四年から七年までの四年間は日本経済の著しい膨張に伴い業界も活況を呈したが、物価も著しく上昇し、米騒動が起り暴利取締令が発令された。当時の鋳物の値段は一貫目三円、新銑がないので再生銑を使つたが一貫目一円二十戔位で工賃は四、五円になつた。その頃の職工は大島の着物を来て錦沙の兵子帯をしめた姿があこがれの的であつた。「一時二時迄ひやかすものはボロメン鍛冶屋か鋳物師かと」鼻唄で仕事をして居た職工も腕の優劣を競うて居つた。

 鋳物屋も今迄になくお金が身についたので遊びも派手になつてよく父の鴨緑江節を聞いたものだ。この頃から大手会社のストや怠業が目立つて来た。又悪性の風邪が流行して工場の出勤者が半数以下のこともあつた。更に労働法規が制定され警察が取締ることになり、業者を集めてこれを聴く会が催されたこともあつた。

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Author:tokioikomu
ドキュメンタリー映画『時を鋳込む』(青原さとし監督、広島県鋳物工業協同組合製作)の企画に携わった者です。1人でも多くの方々がこの作品を鑑賞することを祈っています。

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